レポート
投稿
戻る
|
第8章 イヴの想い
無式が厄介事(しごと)中の一方、イヴはというと―――大いに困惑していた。
「・・・どう思う、ラグ?」
「いや、どうと訊かれてもな・・・」
困惑の原因は、目の前の鏡に映っている、自分の姿にあった。
無式が仕事に向かってから数分後、入れ替わるようにして部屋に入ってきたイルに「血がついたままの服じゃ嫌だろうし、とりあえずこれに着替えておいて。」と言われて、亜麻色のワンピースを渡されたのだ。
しかし、イヴは今までにこのような服は着たことが無く、戸惑いながら着てみたものの、なんとなく馴染めないでいた。
「イヴさん、着替え終わった〜?」
ドア越しに、イルの声が聞こえる。
「あ、はい。大丈夫ですよ。」
「じゃ、入るよ〜」
そう言って部屋に入ってきたイルは、着替え終わったイヴの姿を見て・・・硬直した。
それも当然。どちらかといえば地味な感じのするワンピースが、イヴが着ることによって、とてつもなく高級そうなドレスに見えたのだ。
「あの・・・変、でしょうか?」
自分を見つめたまま、ぼ〜っとしているイルにむかって、イヴは遠慮気味に声をかけた。
「・・・え?あ!似合ってるわよ。いや本当に。」
「そうですか、ありがとうございます。」
そう言って上品に会釈されたイルは、慣れない対応に困り、そして思った。
―――お兄ちゃん、どうやって彼女に対応したんだろ・・・。
しかし、自分を兄と比べるのは無謀と瞬時に判断、とりあえずはイヴにむかって普通に話しかけた。
「下でお母さんが、イヴさんと話をしたいから来てほしいって。お茶もあるわよ。」
そう言われたイヴは少なからずとも驚いたが、断る理由も無いので承諾。そしていつも通りにラグを帯剣し―――またしてもイルが自分を見つめているのに気がついた。
「どうかしたんですか?」
イルは少し怒った口調で言う。
「どうもなにも・・・剣は必要ないと思うけど。」
「我も、お主らの奥方と話がしたいのだが?」
「あ、そうなの。それなら・・・って、今喋ったの誰よ!?」
その場に存在しない人物の声に慌てるイルにむかって、イヴはラグを差し出す。
「我だ。」
「きゃあ!」
喋る剣、という未確認物体にイルが後ずさる。その反応を見て、イヴが慌てて事情を説明しようとしたその時、
「ソノケンナラ、ダイジョウブデスヨ。」
開け放たれた窓から蝙蝠(コウモリ)、もといドラキーが入ってきた。
「あら、ドラキーさん、ルカさんと仕事じゃなかったんですか?」
「コンカイハヒバンデス。ソレヨリ・・・」
そこで一度言葉を切り、ラグにむかって言う。
「ソウヤッテ、マイカイマイカイヒトヲオドロカセルヨウナ、デリカシーノナイコトハヤアメタホウガイイトオモイマスガ?」
「お主らが勝手に驚いてるだけだ。そもそも貴様こそコウm、がっ!」
イヴはラグの言を封じるべく、おもいっきりはたいた。その先を言われたりすれば、この場全員の命が危ない。
「と、とにかく、この剣は別に危険じゃないんです。連れて行っても大丈夫ですよね?」
その問いかけに答えたのは、何故かイルではなくドラキーだった。
「ダイジョウブデスヨ。ササ、イキマショイキマショ。」
こうしてドラキーを先導に部屋を出て、下階へと向かった・・・イル以外が。
当の本人はその場にぽつんと残され、目の前で起きためまぐるしい上に、意外すぎる展開に眩暈(めまい)を感じていた。そして思う。
―――お兄ちゃん、どうやって彼女に対応したんだろ・・・。
「あら、イヴちゃん。いらっしゃい。」
そう言って、リビングに入ってきたイヴを迎えたのは、四十代前半おぼしき年齢の女性、つまり無式の母親だった。一緒にいたドラキーは、彼女に何事かを耳打ちした後、開いていた窓から出て行ってしまった。
イヴは、促されるまま食卓の椅子に座る。目の前を見ると、既に二つのカップと、陶器に入ったジャスミンティーが用意されていた。
「ごめんね〜。あの子ったら、倒れたあなたを放っぽりだして、出かけちゃったんですって?」
「いえ、仕事と言ってましたし、それに引き止める理由もありませんでしたから。」
そう言って、イヴはカップに注がれたジャスミンティーを味わう。芳(かんば)しい香りが口一杯に広がり、心を和ませる。
「あの―――」
無式の母親は、一つ頷いて言った。
「私の名前ね、ミリアっていうの。いい齢したおばさんには、もったいない名前だと思うけど。」
「いえ、そんな。お似合いですよ。」
その言葉に、ミリアは思わず微笑む。普通だったらお世辞にしか聞こえないのに対し、この少女が言うと、何故か本心から言ってるように聞こえたのだ。
「ミリアさん。それで、お話というのは何でしょうか?」
「ん?あたしに孫の顔を見せてくれるのは、いつかな〜って思って。」
ぶっ!
イヴは思わず、飲んでいたジャスミンティーを吹き出してしまった。そしてむせながらも言う。
「な、な、なな、何が誰とどうしろと〜〜〜!」
膝に手を置いて、わなわなする。
―――初対面で何を言いだすの、このオンナ。はっ、いけないいけない。このひとは、ルカさんのおかあさまだった。いや、おかあさまって言っても、そーいう意味じゃなくて。失礼な呼び方をするわけにはいかないって意味で、無礼な振る舞いは父上に怒られてしまうのだ。あ、いや、だから、つまり、
「どーいう意味ですかあ!」
イヴはむせたこと、というよりかは、羞恥(しゅうち)によって顔を赤く染めながら、ミリアに詰め寄った。
「あっはっは!ごめんごめん、冗談よ。まさかそんなに大きな反応(リアクション)をしてくれるとは思わなかったわ〜」
ミリアのその言葉に、イヴは今の自分――両手を食卓の上に着いて、上半身を乗り出して、彼女に詰め寄っている自分――に気がついた。
「あ・・・ご、ごめんなさいっ!」
イヴが慌てて謝ると、ミリアは気にしてないと言う代わりに、手を振った。
「ま、冗談はさておき・・・あなたとその剣、ラグさんについては、あの子とドラキーから大体のことは訊いてるけど・・・ひょっとして、元いた世界に帰ろうとか考えてる?」
いきなりの核心をついた質問に、イヴはどきりとしてしまったが、隠すことでもなかったので、素直に答える。
「はい。そうは考えてますが・・・実は、帰る方法がわからないんです。」
イヴのその言葉に、ミリアは目を丸くした。
「へぇ?来たはいいけど、帰れなくなったってことかしら?それってどういう――」
「奥方。申し訳ないが、その話は・・・」
ラグに遠慮気味にそう言われ、ミリアは慌てて口を閉じる。
「あ、ごめんなさいね。理由はともかく、方法が見つかり次第帰る、ってことかしら?」
「そう、ですね。そういうことになります。」
イヴがそう言うと、ミリアは口の中だけで、なるほどね。と呟いた。
「それじゃ、私からあなたに一つお願いがあるんだけど・・・聞いてもらえるかしら?」
イヴは一瞬驚いたものの、続きを促す。
「はい。私にできることなら。」
ミリアは、じっとイヴを見つめながら、少々言いにくそうに言った。
「こっちの世界にいる間だけでいいから、あの子の、ルカの傍にいてあげてくれないかしら?」
予想だにしてなかった言葉に、イヴは「はい?」と答えにもならない答えを返してしまった。
「あの・・・それも冗談ですか?」
そうは言ってみたものの、ミリアの目はどこまでも真剣そのものである。
「いいえ。傍にいて、あの子を支えてあげてほしいの。」
「私が、ルカさんを・・・?」
イヴに浮かんだのは、純粋な疑問だった。
「でも、ルカさんは他人の支えが無くとも、十分に自立してるように見えます。違うんですか?」
「そうね、あなたの見解は間違ってないわ。親である私が言うのも難だけど、あらゆる面で強い上に、努力の天才だからね・・・でも、」
ミリアの目が、若干の鋭さを帯びる。
「でも張りつめた弓の弦は、いつか切れる。私には、あの子のそういった強さが、とても危ういものに見えるの。だからこうして、あなたに頼んでる。」
「どうして、私に?」
ミリアは、伏せ目がちになりながらも言った。
「強さを求めすぎたせいか、もうあの子には、私や夫は見えてないの。興味が無い、と言ってもいいかしら。イルでさえ、最近あの子とはあまり喋ってないみたいだし・・・だから、あなたにお願いできるかしら?」
「・・・・・・」
イヴは考えながら、ぬるくなったジャスミンティーを口元に運ぶ。芳醇な香りは消え、ほろ苦さだけが口中に広がった。
「少し、考えさせてもらえませんか?」
「・・・わかったわ。」
そう言うと、ミリアは空になったカップを片付け始める。そして付け足すように言った。
「ごめんなさいね、病み上がりなのに、長話しちゃって。」
「いえ、大丈夫です・・・紅茶、ご馳走様でした。」
「イヴ、これからどうするつもりだ?」
無式の部屋に戻ったイヴは、ベットに腰掛けて、ラグと話をしていた。
「・・・わからない。」
俯いて、頭をかかえるイヴ。
「自分でも、よくわからない・・・」
「本当にそうなのか?」
その言葉に、イヴは顔を上げる。目線の先には、壁に立て掛けられたラグがあった。
「我は、お前が奥方の頼みを断ると思って、あえてあの時は何も言わなかったのだが。」
「そう、だよね・・・」
そう言うと、また顔を伏せてしまう。
イヴは、今の状況における自分の立場は理解していた。同時に、本来なら〈今すぐにでもここを去らなければならない〉ことも。
「いずれにせよ、決めるのはお前自身だ。イヴ。」
依然として沈黙を続けるイヴにむかい、ラグは言う。
「何故そこまで躊躇(ためら)うのか、我には理解できぬが。」
「・・・・・・」
ガチャリ
ちょうどその時、部屋のドアが開かれ、仕事を終えた無式が入ってきた。
「ふぅ。ただいま・・・ん?」
無式は服装が変わったイヴを見て、一瞬驚いたような表情を見せる。
「あの、これ、イルさんから借りたものなんですけど・・・変ですか?」
「いや、似合ってると思う。」
イルとほとんど同じような批評だったが、その一言で、イヴは自分の顔が赤くなるのを感じた。
そんな状態には全く気づかず、イヴの横に腰掛けた無式の顔には、かなりの疲労が見えた。
「お仕事、結構大変なんですか?」
「あぁ、行動と言葉の一つ一つが命がけだからな。大変じゃないほうがおかしい。」
そう言うと、無式はベットに仰向けになり、壁に掛けてある時計を指差す。
「すまないが、あの時計で8時頃になったら起こしてくれないか?それからまた出かけなくちゃならないから、少し休んでおきたい。」
「わかりました・・・・・・あの、もしよければ、その時は私も連れて行ってくれませんか?」
ZZZzzz・・・
無式の返事は、寝息だった。
第8章、完
第9章『FOOLISH POST』へ続く
第9章 FOOLISH POST
――大ウェスト海――
タイボク〜マルタ国間に広がっている、言わずと知れた大海域。
その場所に、タイボクの国から出港した、大型輸送船が浮かんでいた。
本来ならば、その輸送船では作業員等以外の乗船を認めていないのだが、どう見ても作業員には見えない青年が一人、甲板にいた。年の頃は、十代後半から二十代前半、といったところだろうか。長身で細身、黒い瞳の上のざんばらな髪は、陽光を受けて銀に輝いていた。近くを通りかかった人夫に尋ねる。
「おっさん、マルタまで後どのくらいだ?」
「ん?それなら、一時間もしないうちに着くじゃろうて。」
青年が礼の言葉を述べると、人夫はそのまま、積荷の整理と戻っていった。
「・・・気に入らないな。」
ぼそりと呟く。気に入らないというのは、人夫のことではない。
海が、静かすぎる。
天候は快晴。風も穏やかで、波も船が進むにつれて作り出される白い波頭のみ。だが、青年は先程から、妙な雰囲気を察知していた。
―――まぁ、後少しなら大丈夫だろうか・・・。
そう思った、次の瞬間。
ジリリリリリリリリリリ!!!
突然の警鐘。続いて聞こえてきたのは、船長の怒鳴り声。
「甲板の野郎共!今すぐ船内に避難しろ!大津波がくるぞ!」
乗員にとって、船長の言葉は絶対である。さらに「津波」という単語に、甲板にいた人々は我先と船内へ入っていった―――ただ一人を除いて。
操縦室では、船長と操縦士たちがレーダーを前に、必死になっていた。
「津波との距離はどのくらいだ!?」
ピピッ
「距離、およそ50km!ですが・・・」
「何だ!」
「速度があまりに速すぎます!このままでは避けられませんっ!」
「ちっ!・・・ん?甲板にまだ人が残ってるじゃねえか!誰だあいつは!」
「あれは・・・ポスト殿です!」
「あの馬鹿が!おい、マイクを貸せ!」
青年、ポストは、遥か水平線を眺めていた。
巨大な白い波頭が、ものすごい速度でこちらへと迫ってくる。同時に、先程までは穏やかだった海が、次第に荒れ始めてきた。
「おい!そこの絶頂馬鹿M・M!聞こえてるか!?」
船長の怒号が、スピーカーから聞こえる。
「死にたくなかったら、素直に船内へ戻れ!そのまま津波に飲み込まれて、妖怪魚のお仲間に加わりたいのか!?」
「・・・・・・」
ポストは船長の言葉を無視。今や、はっきりと目視できる程にまで迫ってきた津波にむかい、背負っていた杖を引き抜き、さらに右腰に挿していた短杖を杖に重ねて、構える。
「おい!?」
船長の声も、強まった風に流されていく。
「主杖、稲妻。補杖、真空破。」
ポストの詠唱によって、重ねられた杖に風と紫電がまとわりつき、混ざる。
「魔技、合成、太陽風!!!」
次の瞬間、電子と陽子から成るプラズマの波動が、ポストの杖先から放たれ、秒速約350〜700kmという超高速で津波へと衝突し、周囲に大量の熱と光を放出した。
そして光が収まり―――
軽い浮遊感。次の瞬間、側頭部に鈍い衝撃。
無式が目を開けると全てが横向きの世界があった。床に強打した箇所が痛い。
平たく言えば、寝返りをうった際にベットから転落した、ということだ。
自分のあまりにマヌケな行動に辟易(へきえき)しつつも身を起こし、ふと視線を横に向けると、開(ひら)けた空間に向かって抜き身の長剣、ラグナロクを正眼に構えている少女、イヴの背中があった。意識を集中しているらしく、無式が起きて見ていることに気づいた様子はない。窓から差し込まれる月光と微風を受け、彼女の白金色の髪が静かに揺れて煌(きらめ)く。
静寂。
一瞬後、片手持ちで剣を振り上げ、雷速で振り落とす。大気が裂ける強烈な斬撃はしかし、木製の床に突き立つ寸前で急停止。刃が一mmもぶれることがない、完璧な制御。
重心移動しつつ、低姿勢からの下段薙ぎ払い。柄に左手を添え、そのまま華麗に一回転し、左上から右下にむかい、勢いを乗せた袈裟(けさ)斬りを放つ。磨き抜かれた銀色の刀身が月光を反射し、斬撃が光の軌跡を生む。
そのまま大きく右足を踏み出して前進、同時に腰だめに構えた剣で、裂帛(れっぱく)の突きを放つ。空気を切り裂く鋭い音が、離れている無式の耳にまで届く。そして突き出した剣をゆっくりと引き戻し、再び正眼に構えなおす。
無式が異変に気づいたのは、その時だった。
イヴの周囲に風が渦を巻いている。そして同時に、構えている剣が呼応するように淡く輝き始める。徐々に強まっていく風に押され、離れている机の上に乗っていた本が動いて落下し、バサリと耳障りな音をたてる。
突如、風が消失した。
「・・・ダメみたい。」
イヴが誰とも無く呟く。そしてため息と共に、剣を鞘へと収める。
「そう焦ることはない。」
返答は腰に戻した剣、ラグからのものだ。
「お前はまだ転生したばかり。本来の力を取り戻すには、多少なりとも時間が必要ということだ。」
「うん、それはわかってる。けど・・・」
「中々だと思ったが?」
ベットに腰掛けた無式が発したその声に、俯いていたイヴは驚いて振り返る。どうやら本当に起きたことに気づいていなかったらしい。無式の批評は続く。
「制御もなってるし、重心移動も自然な動き。本来ならば体勢が崩れてもおかしくない、回転の勢いを乗せた振りでも中心が傾(かし)いでいない・・・まぁ、最後のはコメントのしようが無いけどな。」
そう言いながら時計を見る。八時十分前。
「奇しくも時間通りか・・・どうした?」
後半部分はイヴへの問い掛け。彼女は何故かその場に立ちすくみ、床に視線を彷徨わせていたが、やがて顔を上げる。
「その・・・お褒めの言葉、ありがとうございます。」
ぺこりと頭を下げるイヴを見て無式は薄く微笑み、腰を上げて部屋のクローゼットへと向かう。そして引き戸を開けて、中をあさり始めた。
「これは厚過ぎ、これは小さい・・・お、これなら。」
そう呟くと、無式は一着の薄手の外套を取り出し、イヴにむかって放り投げる。慌てて受け取った彼女だったが、何故これを渡されたのかがわからず、反射的に尋ねた。
「あの、これは?」
外套をもう一着取り出してクローゼットを閉めながら、無式は答える。
「いくらここが南国とはいえ、やっぱり冬の夜は冷えるからな。それぐらいは着ておいた方がいい。」
「いえ、そうじゃなくてですね・・・」
違った方向の返答に対して言葉を詰まらせるイヴを尻目に、無式はさっさと部屋を出て行こうとしたが、ドアの前で立ち止まる。
「別に俺の許可なんて必要無い。君が一緒に来たいのなら、それでいい。」
「え?」
無式にしては珍しく、小さな声で早口で喋られたので、イヴは一瞬何と言われたのかわからなかった。が、次の言葉で意味を理解した。
「一緒に来てくれるんだろう?」
そう言うと無式はドアを開け、振り返りもせずに部屋を出て行ってしまった。
取り残されたイヴは、無式のらしくない言動に暫し呆然としてしまったが、慌てて我に返って彼の背中を追った。
後ろから追いかけてくるイヴの気配を感じて無式はため息を吐き、ぼそりと呟いた。
「・・・何言ってんだか、俺は。」
無式が階下に下りてリビングへと向かうと、そこで付けっぱなしになっているTVが臨時ニュースを受信していた。画像の女性アナウンサーが喋る。
「本日午後6:30頃、大ウェスト海中域にて大規模な津波が観測されました。気象庁によりますと、マルタ方面へと勢力を拡大しつつ向かう途中で、突如消失したとのことです。詳しい情報は今後入り次第お伝えいたします。繰り返します―――」
「・・・あの馬鹿が。」
誰に向かってのものなのか、無式は小さく悪態ついた。
「あの、どうしたんですか?」
後ろから追いついてきた、すぐ近くで発せられたイヴの問いかけに、思考にふけっていた無式は、ふと我に返った。
「あ、いや、何でもない。行こうか。」
※
無式たちが家を出たときには、外は既にとっぷりと日が暮れていた。潮の香りを含んだ冷たい風が吹き、牧場の木々を揺らしている。
「やっぱり冷えるな・・・ん?」
吹き付ける寒風に思わず身を縮めていた無式だったが、いつの間にか傍らにいたはずのイヴがいなくなっていることに気がついた。
ぐるりと頭をめぐらせると、イヴが何か小さい影と向き合っている。声をかけても反応が無いので、仕方なしにそちらに向かう。
「何してるんだ?・・・って、おまえか、チルカル。」
「あっ、お久しぶりッス。マスタ。」
そう言って無式に挨拶したのは、右手に小型の石剣、左手にこれも小型の木盾を構えた魔物―――プチヒーローだった。
ちなみにチルカルというのは、このプチヒーローのNN(ニックネーム)であり、異国語で『小さい兄弟』という意味を持っているのだが、呼ばれている本人の知る由(よし)も無い。
「で、こいつがどうかしたのか?イヴ。」
「この子・・・」
透き通るような空色の瞳で、じっとチルカルを見つめていたイヴだったが、突然小柄なチルカルを持ち上げると、
「可愛いっ!」
自らの胸に抱きしめた。
「なっ!?むぎゅ!」
チルカルの驚きの言葉も、彼女の胸の中で不明瞭になる。
唐突な、イヴの意外な言動と行動にしばし唖然としていた無式だったが、ふと牧場にいる魔物たちが発する妙な音に気づいた。
それは血管がブチ切れる音だったりうめき声だったり歯軋りと共に歯が砕ける音だったり握っている獲物がへし折れる音だったり全身の筋肉が異常なくらい盛り上がる音だったり軽く致死性呪文の詠唱だったりエトセトラエトセトラ。原因は眼前に提出されている。
―――ここにいては命が危ない。
そう判断した無式はイヴの片手をとって、半ば強引に牧場の出口へと誘導し始める。
「行くぞ。」
「え?ち、ちょっと――」
イヴが少し慌てたような声を出す。おそらくは彼女のもう片方の腕に、未だにチルカルが抱えられていることだろうが、この際どうでもいい。
何せ時間がたつのに比例して、周りの殺気が増大しているのだから。
こうして、二人と一匹はそそくさと牧場を出て行った。
※
イヴは、歩きながら自分の手を握る無式の手を見、そして彼の横顔を見た。
そこでばっちり目が会う。
「どうした?」
彼の藍色の瞳の中には、イヴの望んだ感情は含まれていなかった。
「・・・いえ。」
否定の言葉と共に、イヴは自分の内の考えを恥じた。
そう、どう転んでも、それは許されるものではない。
決して。
マルタは島国であるにも関わらず、地形上の理由からか、港は少ない。
牧場を出た無式たちが向かった先は、メインストリートに並ぶように建設された、その数少ない港の一つだった。
今のところ桟橋(さんばし)の先に船の姿は無かったが、水平線近くに見える小さな点が、徐々に明確な船の形になりつつあることから、後数分で到着することが推測できた。
「あの・・・」
イヴの遠慮がちな声に、彼女の視線を追うと、繋がれたままの手に行き当たった。
「あ・・・すまない。」
無式は多少慌てて手を離し、そしてイヴの片腕に抱えられているチルカルを指差して言った。
「で、そいつが気に入ったのか?」
「はい?・・・あ、」
イヴは無式に指摘されて、初めてチルカルを持ち出したことに気づいた顔をした。どうやら、無意識の行動だったらしい。
そして無式の次の言葉に、イヴはさらに驚かされることになった。
「君さえよければ、そいつを君の使い魔にしても構わないぞ。」
「え!?で、でも、この子はルカさんの使い魔じゃないんですか?」
「まぁ、そりゃそうなんだが・・・おまえはどうしたい?チルカル。」
無式がチルカルに問いかけると、チルカルは急にきりっとした顔つきになって、イヴの腕から抜け出し、
「この命尽きるまで、あなた様についていくッス!」
いわゆる騎士式第一種最敬礼と共に、そう宣言した。
予想外の行動と言葉に、イヴは目を丸くし、無式は鼻で笑って「やっぱりな。」と呟いた。
「ま、そういう訳だ。どうする?」
「・・・わかりました。」
少しためらいながらも、イヴはそう言うと、チルカルを両手で自分の前に抱きかかえた。
「よろしくね、チルカル。」
「ウイッス!」
そんなこんながあったうちに、先程まで遠くにあった船は、マルタの港へと到着していた。
船から下ろされる荷物、それらを運ぶ人夫や引継ぎを行う係員たちによって、夜でありながら賑やかな港特有の雰囲気が醸(かも)しだされていた
その最中、作業の邪魔にならないように身をかわしながら船を降りてくる、一人の青年がいた。
年の頃は、無式とさほど変わりないだろうか、特徴的な銀色の髪が、船のサーチライトを反射して輝く。
青年は船の架け橋を渡って港へと降り、少し離れたところにいる無式と目が合うと、親しげな表情を浮かべた。
そして自分へと放たれた剣の蛇を、腰から神速で引き抜いた金属製の短杖で弾いた!
「ルカさん、何してるんですかっ!?」
突然の凶行―――腰に挿していた長剣、ツェアライセンを抜刀して青年へと剣撃を放った無式にむかって、イヴは金切り声で叫んだ。
「・・・・・・」
無式はその問いには答えず、弾かれた剣を元の長剣の形状へと戻し、鞘に収めた。
一方、突然命を狙われた青年のほうはといえば、何事も無かったかのように短杖を腰へ戻し、無式へと近づいた。そして口を開く。
「何のつもりだ?」
口調は穏やかだったが、青年の全身から放たれる剣呑(けんのん)な雰囲気が、それを裏切っていた。無式が答える。
「世間様を気にかけない馬鹿に対する、俺なりの懇切(こんせつ)丁寧な挨拶だ。文句あるか?」
無式のその言葉に、青年は小さく吹き出す。同時に剣呑な雰囲気も、まるで幻であったかのようにかき消えた。
「全く・・・そういうところは相変わらずだな、abnormal ruka(無式のルカ)」
青年にそう呼ばれた無式は、微妙に顔をしかめて言った。
「その呼び方は仕事上だけにしろ。わかったか、foolish post(愚かなポスト)」
互いの何の意味も持たない会話に、無式は軽く嘆息しつつ青年へと近づき、その胸を拳で軽く突いた。そこで初めて笑う。
「久しぶりだな、ポスト。」
「ああ。」
ポストと呼ばれた青年も、それに応じるかのように口元を緩めた。
ただ一人、その場の状況に着いていけてないイヴが、無式の後ろから顔を出す。
「あの・・・こちらの方、どなたですか?」
それは無式にむけての問いかけだったが、応じたのはポストのほうだった。会釈と共に名乗る。
「俺の名はポスト。ポスト・メレイオス・タイボク。ルカの旧友で―――」
ポストはそこで一度言葉を切り、そして誇らしげに付け足した。
「こいつと同じく、超級M・Mだ。よろしく。」
第9章、完
第10章『宴と喧騒』へ続く
Copyright (C) 2006 喋るホウキ , All rights reserved.
※喋るホウキは学生、いや、学生である前に人間ですので、
更新頻度が落ちることもあります。
|
|
|
|
|